当サイトは、横浜市立大学探検部の過去の活動記録を収集、整理、公開するためのホームページです。

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追悼集Memorial

■追悼集(下線付タイトルをクリックするとPDFファイルが開きます)

『追悼 自然を愛した医師・寺島和光』
 横浜市立大学探査会・探検部OB会編(2016年5月30日)非売品/108頁

 2015年6月4日、南米ボリビアのウトゥルンコ(6008m)で登山中に亡くなった、寺島和光医師の追悼集。
 横浜市立大学探査会のメンバーとして参加した、知床半島学術調査、北上川水系調査、大雪山学術調査等、ナチュラリストとしての人生を全うした寺島先生の若き日の文章や写真が多数発掘・掲載されています。
 医師となってからの多忙な生活の中でも、日本百名山全山登頂、ネパール・ヒマラヤ、カラコルム、天山山脈等でのトレッキング、日本野鳥の会や横浜植物会での調査等、世界各地の自然を舞台に活動した寺島先生の生涯を追いかけた労作です。

【横浜市立大学学術情報センター蔵書】
『天山に逝く』
 天山に逝く刊行委員会編(1994年1月17日)非売品/218頁

 1990年8月11日、天山山脈トムール峰C3(5800m)で行方不明となった、西堀秀二隊長、井上誠登攀リーダー、伊東昌彦隊員の追悼文集。西堀、井上両氏は山岳部OB。伊東は現役の探検部員、山岳部員でした。
 三隊員の遺稿、家族・友人等による追悼文、登攀年譜の三部構成となっています。

【横浜市立大学学術情報センター蔵書】
【国立民族学博物館(梅棹文庫)蔵書】
【京都大学図書館機構蔵書】
『昌彦がゆく-伊東昌彦追悼集-』
 横浜市立大学探検部編(1992年4月30日)非売品/86頁

 1990年8月11日未明、天山山脈トムール峰のC3(5800m)で行方不明となった伊東昌彦君(享年21歳)の追悼集。
 遠征前年の国内訓練合宿から、天山での遭難当日までザイルパートナーとして行動を共にしてきた私にとって、伊東を山に残したまま終えた3度のトムール峰遠征は、人生最大の悔恨となり、未だにどう折り合いをつけてよいのか、わからないまま生きています。
 探検部が独自に編集した追悼集は、ご家族、友人、当時の探検部員による寄稿と伊東自身の遺稿、活動記録から構成されています。
『直士愛して-故大谷直士追悼文集-』
 横浜市立大学探検部編(1989年1月1日)非売品/48頁

 1988年10月24日、26歳の若さで亡くなった探検部元主将、大谷直士さんの追悼集です。
 私が探検部に入部した際、4年生だった大谷さんのおおらかで自由、破天荒な人となりに魅了されました。
 大学生活のみならず、社会人になってからも「人生に迷ったときの羅針盤」として、大谷さん的生き方を思い起こしている自分に気づかされるほど、影響力の大きな方でした。
 探検部初の刊行となった追悼集では、大谷さんのご家族、探検部顧問だった朝比奈大作先生、国際関係ゼミの指導教官だった倉持和雄先生、そして当時の探検部員たちが、人間・大谷直士の多面的な魅力や彼との関わりについて、それぞれの思いを綴っています。

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