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横浜市立大学探検部員及び元探検部員がライフワークとして取り組んでいる、研究、自然観察、登山等についてのページです。

奄美合宿22年小森 啓志 田村 康一他

 

■あゆたーり『煌く』MVを制作してみた(田村 康一)

 歴代の奄美民謡大賞受賞者の牧岡奈美さん、里歩寿(さとありす)さん、森田美咲さん、平田まりなさんによるボーカルユニット、"あゆたーり"のデビューシングル『煌く』が2020年7月31日に配信リリースされました。©℗ 2020 About It Co., Ltd. URL:http://nipponnooto.net/
 作曲・編曲はMISIAの「つつみ込むように…」プロデューサーの島野聡氏、作詞はあゆたーりの4人が担当。
 ふだん伝統的な奄美民謡を唄っている実力者4名によるポップスデビュー曲を、共に北九州市門司区出身の佐藤バルタン誠司(カメラマン/映像作家)と田村康一(奄美シマ唄研究者/本サイト管理人)のコンビで映像化してみました。
 奄美の大自然の中で繋いできた命、紡いできた唄をテーマにした、雄大でどこか郷愁を誘うすてきな楽曲です。ぜひご視聴ください。


■2019.奄美大島合宿 前半(横浜市立大学探検部)


夏と言えば海!!!
奄美大島!!!
え?これでも一応合宿ですよ…
後半は見ごたえあると思いますので!


■奄美合宿18年(小森 啓志)



■島で暮らして(小森 啓志)

 朝比奈先生が奄美大島へいらしたのは夏、確か8月の中ごろだった。
 別府大学で毎年行っている夏期講習を終えたら、そのまま車で鹿児島へ行きフェリーで奄美へ渡る、ということを記した手紙をいただき、なにか大変なことになったような気がしたものである。探検部先輩の小森享二さんや田村さん、佐々木さん、後輩の稲田などが島へ来たことがあるけれど、一緒に合宿へ行ったり旅行へ行ったりメールでやりとりをしていたので、旅先での興味や関心はなんとなくわかっていて、小森さんにはダイビングを楽しんでもらい、佐々木さんは観光、田村さんは島の文化や成り立ちがわかるような場所をおすすめし、稲田はただゆっくり本が読める環境を提供したのではなかったかと思う。
 しかし、朝比奈先生となると話がちがう。実は在学中に先生の授業をとったことがなく、研究室の場所は知っていたが訪問したことはない。なにかの会合でお目にかかったことはあるけれど、直接話をした記憶は定かではない。つまり奄美大島でほぼ初対面ということになるのだった。田村さんから「昆虫が好き」ということは聞いていたが、こちらの知識としては「奄美にしかいないアマミマルバネクワガタがマニアの間で人気」くらいしかない。はたしていったい何をか案内できるようなことはあるのだろうか?
 夕方、自分が勤めている奄美南部のホテルへ先生はにこやかな表情でお見えになった。聞くと、フェリーで島についた後、島の北部をほぼ回ってきたとのことである。奄美大島は沖縄、佐渡に次いで日本で3番目に広い島で、1週400キロを超える大きな島である。しかも海岸線は出入りと起伏が激しい。早朝5時に到着するフェリー利用者の多くは、通常そんなタイトなスケジュールは組まない。そしてさらに翌日から先生ご夫妻は徹底的に島を回り始めた。こちらの案内など必要ないまま島の道を走破し南西諸島最高峰の湯湾岳を登り、原生林を散策した。奄美大島をすべて回ると、今度は周辺の加計呂麻島、請島、与路島へ渡り、奄美の集落を制覇してしまった。ふだん接している一般的な奄美観光旅行者との移動距離のちがいに驚いた記憶がある。

 そういえば、最初に自分がこの島に来たときも何よりまず、島をすべて回って見たいと思った。この道の先に何があるか、点在している集落はどんな雰囲気なのか、本島周辺の島々の景観はどうなのか、とにかく行って見たかった。そして先生のように3日とか4日でまわることは出来なかったが、1年ほどかけて一通りを行って見ることが出来て、奄美大島の雰囲気を体感できたような気がした。

 ところが、この島ではそういう行動は理解されにくい。
 「おもしろそうだから」「行ったことがないから」、だから行ってみるという動機は、おおむね「変わっている」「ヒマだね」に似た評価を受ける。行ってみることの充実感やその場に身を置くことで得られる腑に落ちる感じを共有することができない。

 島の周囲は青とも緑とも形容しがたい美しいサンゴ礁の海が広がっている。スノーケリングで海中をのぞくと蛍光色のサカナや奇妙な形をしたサンゴなど陸上とはちがった不思議な世界が広がり飽きることがない。息を大きく吸って海の世界へ降りていく、素潜りで少しずつ深く潜れるようになることに達成感を感じる。しかし島の先輩と海に泳ぎに行くと、その楽しみ方を叱られるのである。

 「えっ! 泳ぐのに網を持ってきてない?」
島人なら泳ぐときにも網やガギ(貝や岩を起こす鉄の棒)を持参し、獲物をとるために潜り、手ぶらで帰ることはまずない。
 シーカヤックに乗って海峡を越え加計呂麻島へ渡ると「もう練習しているの? 感心!」とほめられる。毎年夏に開催される「奄美シーカヤックマラソン」の練習をしていると思われているのである。海を渡り気軽に浜で遊ぶのに最高の手段であるシーカヤックだが、島の人から見るとあくまでもスポーツ用品。島の人が舟で海に出るときは釣りをするときである。

 島には「ドライブ」という概念もない。きれいな景色を見るとか、気分転換のために車を走らせることに価値(もしくは必要性)を見出さない。ましてや行き先のわからない林道へ行ってみるなどまったく無意味な行動で、以前ドライブで林道を走りはじめたらパトカーが追いかけてきて職務質問をされてしまった。夏から秋にかけては、夜になるとライトを照らしてゆっくり走っている車とよくすれ違うが、これは道路に出てくるハブを捕まえるため。ハブは役場が1匹4,000円で買い上げてくれるのである。
 ハイキングや山菜採り、きのこ狩りなど、山に登るレジャーもない。山に登っても植生の濃いヤブ山で眺望を楽しむこともなく降りてくるだけだし、ましてそこにハブの危険があるのだから山登りなど愚行でしかない。夜の林道へ行けばアマミノクロウサギを見ることもできるが、見に行く人はほとんどいない。それが世界中で奄美にしかいない珍しい動物だとしても、捕まえることも食べることもできない動物を見てどうするのか、といったところだろう。そのかわり鍋にしても焼肉でも刺身でもおいしいイノシシの猟にかける情熱と技術は本当にすごい。
 
 なるほど。つまりこの島には「興味本位」がないのだ、と思い当たる。
 行動にはそれに応じた実利が求められるのである。
 その理由はおそらく、歴史によるところが大きい。過去には琉球王朝の統治下にあり、その後薩摩に侵略され、戦後はアメリカの領土となった。労働と成果を提供し続けた歴史の中では「興味」とか「好奇心」などという生産性のない衝動は認められなかったのだろう。

 しかし、だからこそ自分はこの島に住み続けられているのだと思う。

 興味本位でフィールドへ出る人がいないので、海でも山でも人の気配がない。同じ文化圏にある沖縄と比べて素朴で未開で魅力的だ。そして本土と比べると、自然、文化、人ともに際立って異種。素材は豊富、テーマは多種。生活の周辺に、こんなにも好奇心を刺激する未知がたくさんあるところは少ないと思う。

 山の斜面でいっせいに咲きはじめる樹木を目にすると名前が知りたくなるものだし、森の中から聞こえてくる奇妙な鳴き声の生き物の正体も知りたくなる。「元」「中」「蘇」など不思議な一文字姓がたくさんあるし、長く住んでいると「島顔」とでも言うべき奄美独特の顔があるのもわかってきた。ダイビングではまだほんの10数本潜っただけだ。行ったことのない道や集落はなくなっても、未知の奥行きは深い。

   *   *   *

 島を去る前日の夜、集落にある看板も出さない小さな居酒屋へ先生ご夫妻を案内した。新鮮な島素材のおいしい料理と選りすぐりの黒糖焼酎が飲めるおすすめの店だ。聞こえてくる波の音でいい気分になってくる。
 先生のお話は大学のことや大分のこと、メキシコの話へ飛んでそれから奄美のことへ。請島の甲虫、加計呂麻島で見た迷鳥、湯湾岳にいたハブ・・・知識と好奇心がずっしり詰まっている先生の中に奄美も少し入り込んだようで嬉しかった。

 さあ今年は誰が来てくれるかな? 奄美大島で、楽しみに待っています。

 『朝比奈大作先生退官記念文集』(2009年3月)より転載

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