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アラスカ・ユーコンAlaska&Yukon

■アラスカ縦断600マイル

○○○○○○○○イメージ 2018年8月31日〜9月8日: 『アラスカ縦断600マイル』-北極圏突破・オーロラを目指す旅


隊 員:松本芳輝、小松伸栄瑠、岡田優
報告書:『EXPLORATION ALASKA』
映 像:アラスカ縦断600マイル予告編
    アラスカ縦断600マイル#1
    アラスカ縦断600マイル#2
    アラスカ縦断600マイル#3
    アラスカ縦断600マイル#4
    アラスカ縦断600マイル#5
    アラスカ縦断600マイル#6
    アラスカ縦断600マイル最終回
概 要:アラスカのアンカレッジから北極圏のコールドフッドまで、往復1200マイルの道のりを自転車とレンタカーで縦断した現役探検部員小松、松本、岡田の3名。
道中、アンカレッジでの自転車の盗難、ワシラでの野宿、悪路でのパンクといった苦難を乗り越え、無事コールドフッドでオーロラを見た旅の記録です。

【アラスカ縦断600マイル予告編】

【アラスカ縦断600マイル#1】

【アラスカ縦断600マイル#2】

【アラスカ縦断600マイル#3】

【アラスカ縦断600マイル#4】

【アラスカ縦断600マイル#5】

【アラスカ縦断600マイル#6】

【アラスカ縦断600マイル最終回】


■アラスカ・ユーコン位置図




■ユーコン川カヌーツーリング

○○○○○○○○イメージ 1991年7月11日〜9月8日:ユーコン川カヌーツーリング


隊 員:藤本謙治、児玉亮
報告書:『1991.7.11〜9.8 Canoe Touring in the Yukon River』
概 要:バンクーバーWhitehorseを出発し、Carmacks→Dowson→
    アメリカEagle→Circleを経て、北極圏のFort Yukonに至るカ
    ヌーの旅。
    ユーコン下りで最も要求されるのは、パドリングの体力や正確
    さではなく、そこで生活し続ける精神的タフさであった。最大
    の失敗は、日本からカヌーを持ち込んだこと(児玉談)。




■1991.7.11~9.8 Canoe Touring in the Yukon River(児玉 亮)


■隊員紹介
○藤本謙治(当時、文理学部国際関係課程2年、20歳)
 この計画の言いだしっぺであり、リーダーでもある。探検部入部当初から「野田知佑みたいにユーコン河下りたい!」と強烈に自分をアピールしていた。野田やユーコン河のことは知っていたが、まさか自分がそこを下れるなどとは思ってもいなかった児玉を探検部に入部させた男。
 ユーコンでは釣り、インディアンとの交流等、とかく単調になりがちなユーコンに意義を見出し、ストイックに追求し続けたが、その日暮らしの児玉に足を引っ張られ、なかなか成果を得られなかった。その割には川下りをしながら大学のレポートをしていたりもしたが…。
 中古で買った藤本のカヌーは、後半、毎日必ず浸水し藤本は晴れても下半身びしょびしょだった。本当によく最後まで下れたと思う。
 とにかく、藤本の意気込みは計画書の冒頭に「日本が失いかけている何かを掴むために、旅に出ます」と熱く記されている。
○児玉亮(当時、文理学部人間社会課程2年、19歳、筆者)

■日程表
7/11:成田→Los Angeles  Los Angeles観光
7/12:Los Angeles→Vancouver
7/13:Vancouver観光
7/14:Vancouver→Whitehorse
7/15〜18:Whitehorseにて出発準備、観光
7/19:Whitehorse出発 初日より熊に悩まされる。魔のLake Laberge
7/28:Carmacks着 買い出し、インディアンにカツアゲされそうになる。
7/31:Carmacks発 Five Finger Rapid通過 藤本沈 ムースの親子と対面。
8/ 8:Dowson着 買い出し、カジノで大儲け、たくさんの日本人と出会う。
8/13:藤本Dowson発
8/15:児玉Dowson発
8/17:Canada−U.S.A国境通過
8/18:Eagle着 買い出し、イミグレーション。
8/19:Eagle発
8/26:Circle着 買い出し。
8/28:Circle発 Yukon Flat 北極圏を越える。
8/30:Fort Yukon着
9/ 1:Fort Yukon→Fairbanks(Air Taxi)
9/ 3:Fairbanks→Anchorage(アラスカ鉄道)
9/ 6:Anchorage→Seattle

■食糧
 食糧は食料品店のある街で次の街までに日数を概算して買い出しをしてまかなった。 主食となったのはやはり米。ついで重宝したのがインスタントヌードル。副食は手に入った食材を様々に工夫して調理した。街までの途中で食糧が足りなくなることはなかったが、行動食が慢性的にいつも不足していた。

■医療
 医療は、外傷以外にはほとんど使用しなかった。ごくたまに感冒薬や解熱剤を服用することはあったが、風邪の前兆に服用して予防するというような使用だったので、本格的な風邪等はひかなかった。体の不調に応じてビタミン剤は効果があった。

■サバイバル
 計画時はなんだか漠然と「サバイバル!」と言っては意気込んでいたが、魚は釣れず、食糧のほとんどを買い出しによってまかなっていたし、たき火ができないときにはバーナーやヘッドランプがあったし、そしてなによりテントで雨風をしのいでいたので、サバイバルと銘打つような行動はほとんどなかった。
 あえて言えば熊から逃れ生活することが唯一にして最大のサバイバルであった。

■ユーコン河下りの概略
 カヌーの楽しみ方には、カヤックで激流を下る、シーカヤックで海を渡るなどいくつかの方法がある。 今回のユーコン河下りはリバーツーリングと呼ばれているカヌーの楽しみ方の一つである。
 積載量のあるカヌーに食糧、テント等の生活道具一式を積み込み、途中の河原でキャンプをしながら、何日もかけて川を下る。最低限の危機回避のためのカヌーコントロールと野外生活ができれば誰でも簡単にツーリングを楽しめる。しゃかりきにこがなくても河はゆっくりと違う土地に僕らを運んでくれる。移りゆく景色と広い空を川面から低い視線で眺めながら流れるリバーツーリングはその名の通り多分に旅の要素が強い。
 車で移動できる人たちは、オープンカヌーなどの大きなカヌーを車に積んでスタート地点まで行き、ゴールしたら交通機関を使って車までもどり、車でカヌーを取りにくるという方法がとれる。
 車をもたない僕らは分解すると一つのザックに収まってしまうフォールディングカヌーという組立式のカヌーをそれぞれ購入し、日本から野外生活用品と共に持ち込んだ。しかし、旅である以上荷はできるだけ軽い方がいい。
 ユーコン河はリバーツーリングのメッカだけあって、スタート地点によく選ばれるホワイトホースにはドーソンで乗り捨てられるレンタルカヌーがあったり、また現地で安くカヌーを購入してゴールしたら誰かに売るという方法をとっている人もいた。
 僕らはユーコン河下りを終えたあと、少しの間カナダ、アメリカをまわるためにアンカレッジから日本にいらない荷を送り返したが、フォールディングカヌーを送り返すにはかなりの金額を支払わなければならなかった。児玉はそれでも大金をはたいてカヌーを送ったが、藤本はカヌーを背負ってカナダ、アメリカをまわった。
 2人は、次回のユーコンには2度とカヌーを日本から持ち込むようなことはしないと心に誓った。

■生活方法
 食糧の買い出しが出来る街は限られているので次の街までだいたい何日ぐらいかかりそうかを想定して食糧を買う。今回は最大1週間分の食糧を積み込んで移動をした。
 流木が豊富なので基本的にはたき火ですべて調理した。雨の日に限ってテント内でバーナーで調理する。バーナーは白ガスが現地で手に入らないことも考え、ガソリンが使えるものを日本で購入して使用した。実際には、キャンプの際は熊対策として食糧やカヌーから距離をおいてテントを張った。
 これは川岸のときはもちろんだが、熊は河を泳いで渡れることも考慮に入れ、完全な中州にキャンプするときもそうした。熊対策としてはべアバンガーという大きな爆竹のようなものを購入して、寝るときには必ず枕元に置いて寝た。

■全体総括
 なにをいまさら、である。あれからもう7年以上も経ってしまった。この文集に幻と成りつつあった報告書(もどき)を掲載するにあたって、当時の準備合宿の計画書、報告書、ユーコンの計画書、フィールドノートを読み返すと一瞬にして当時の自分に戻ってしまう。

 楽しかった。

 7年も経ちユーコンを振り返るとき、ユーコンを終えた直後のそれとはまた違ったものになってしまう。ユーコンを終えた直後自分がどんな総括をしたのかすら忘却の彼方にある。報告書の作成を怠ったことを今さらながらに後悔してしまう。
 ユーコンに漠然と求めていた自然、生活力、旅、自分自身を鍛えるというものが今はっきりどういうものかわかるような気がする。自分は藤本ほどストイックに野生というものを追求しなかったが、やはりユーコンはタフな経験だったと思う。
 最近はテレビでも紹介されるようになり、ユーコンは依然として聖地ではあるが、もはや開拓地ではない。というか、僕らが下ったときにもすでに開拓地ではなかった。
 そういう意味ではユーコン河下りはパイオニアワークではない。川下り専用の詳細な地図もあれば、先駆者たちの経験も活字になっている。最低限のマニュアルに従って行えば、未知の危険はまずない。
 そこにあるのは、客観的な探検ではなく、極めて私的で内的な行為だと思う。
 家財道具一式を積んで街から街へ流れる放浪。決してしゃかりきに漕ぐのでなく、かといって流されるという感覚でなく、確実に自分たちの意志で『流れる』。そこで求められてくるのはパドリングを続ける体力でもなく、パドリングの正確さでもない。生活し続ける精神的タフさだ。単調になりがちな生活。大きすぎて自分に跳ね返ってこない自然。そのなかであまりにも小さく、無力な自分。そのなかで自然に溶け込みながら放浪そのものを楽しめる精神的タフさ。異世界での放浪体験。異世界での生活体験。突然こういう異世界に放り込まれたときに果たして自分が生きていけるのか?を自分に課した旅だったと思う。 正直なところあの頃の自分はしがらみや呪縛が少なかった。だからユーコンという異世界がさほど異質に感じられず、むしろすんなりユーコンを体験してしまった気がする。
 今思うともったいない、もっとユーコンを満喫できたろうに…。なんて思うのはやはり自分がそういう世界からかけ離れてしまった証拠なのだ。
 昨年産まれた息子と、いつか続きを下りたい。今はそれをささやかな夢として胸にしまっておこう。
 ユーコンはもうしばらくは待っていてくれると思う。

<行動記録の詳細は、『1991.7.11〜9.8 Canoe Touring in the Yukon River』参照>

『EXPEDITION W-1988〜1998-』(2000年11月)より転載


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