当サイトは、横浜市立大学探検部の過去の活動記録を収集、整理、公開するためのホームページです。

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フィリピン・ミンドロ他Pilipinas


■ミンドロ島

○○○○○○○○イメージ

1985年8月6日〜9月3日:
第1次ミンドロ島民族探検

隊 員:酒井隆志、田村康一
報告書:所在不明
概 要:
ミンドロ島の原マレー系焼畑農耕民、ブヒッド族の集落(バタンガン、ホゴンリゴマ)に住み込み、言語調査等を行う。
   
←バタンガンのブヒッド族と




○○○○○○○○イメージ

1986年3月5日〜4月2日:第2次ミンドロ島民族探検

隊 員:酒井隆志、内野健太、大槻英二、高梨洋之
報告書:『第1次・2次比国ミンドロ島遠征』
概 要:
ミンドロ島ボンガボン川上流に棲むという、"バゴン族"調査。

←ボンガボン川の激流を渡る大槻隊長


















1987年2月24日〜4月7日:第3次ミンドロ島民族探検   

○○○○○○○○イメージ
隊 員:大槻英二、高梨洋之、田村康一、小嶋健太、大沢啓志
報告書:『フィリピン共和国ミンドロ島遠征87報告書』
報 道:朝日新聞
概 要:
ミンドロ島バコ山麓、ボンガボン川上流に棲息するという幻の民"バゴン族”の追跡調査。ボンガボン川上流にて、バゴン族らしき夫婦と接触。写真撮影に成功。

←タウブイッド族の男性(上)とブヒッド族の男性
 ボンガボン川上流にて















○○○○○○○○イメージ 1987年8月1日〜8月30日:
第4次ミンドロ島民族探検


隊 員:大槻英二、田村康一
報告書:なし
概 要:
ミンドロ島ブヒッド族の村、バタンガン、ホゴンリゴマ等で、民族学的調査を行う。
 
←”バゴン族”と接触の瞬間









○○○○○○○○イメージ 1988年7月27日〜9月2日:第5次ミンドロ島民族探検


隊 員:佐藤修史、佐々木仁、田村康一
報告書:『第3次〜5次比国ミンドロ島遠征』
『学校のある社会とない社会〜ロールシャッハ・テストによる比較研究〜』
概 要:
佐藤、佐々木は、ミンドロ島アグロバン川上流の幻の民”ルワン族”についての予備調査を、田村はブヒッド族の集落にて、ロールシャッハ・テスト等を用いたフィールドワークを行う。
    
←焼き畑にトウモロコシの種をまくブヒッド族の女性














○○○○○○○○イメージ 1989年2月25日〜4月8日:
第6次ミンドロ島民族探検


隊 員:佐藤修史、佐々木仁、池田三津恵、室賀美和
報告書:『第5次・6次比国ミンドロ島遠征』
報 道:毎日新聞
概 要:
 アグロバン川氾濫のため”ルワン族”探検を断念。同じミンドロ島のアランガン族の調査を行い、巨大集合住宅の"ビッグハウス"、樹上家屋等を発見する。















■フィリピン位置図



■マニラ・スモーキーマウンテン

○○○○○○○○イメージ 1985年3月上旬〜3月末:マニラ・スラム調査


隊 員:大谷直士、佐々木鉄明、浅香辰也
報告書:不明
報 道:産経新聞
概 要:
 マニラ北西部の街、ナボタスに大谷が、隣のバリンタワーに佐々木と浅香が住み込み、ゴミの山の上にバラックを建てて居住しているスラム街住民の生活を調査した。
 ナボタスでは3千世帯24,000人の住民が生活しており、水道普及率は20%以下、収入はマニラ都心部生活者の半分以下であった。
 スラムではゴミが大切な収入源となっており、ゴミから見つけた空き缶やビニール袋を売って生計を立てている人たちがいた。
 彼らの生活は貧しいが、子供たちの表情は明るく、大人たちは親切だった。
 隊員の三人は、「お金では買えない豊かなものを持っている」と感じたとのこと。





■スルー諸島

1969年夏:第一次スルー諸島学術調査 ○○○○○○○○イメージ


隊 員:合田濤他三名
報告書:
概 要:


1971年夏?:第二次スルー諸島学術調査 ○○○○○○○○イメージ


隊 員:小森享二他?名
報告書:
概 要:













*写真はイメージ画像


■パラワン島

○○○○○○○○イメージ1965年6月26日〜7月19日:第一次パラワン島調査


隊 員:菅田弦、合田濤、小林恵二、出羽寛、鈴木光
報告書:『第一次パラワン島調査隊のこと』『パラワン島調査隊の
     装備』
概 要:
フィリピン共和国の西部、ルソン島とボルネオとの間に位置するパラワン島のバタク族に関する民族調査、並びに同島の動植物相の調査を目指したが、手違いにより目的地に達し得ず、ミンダナオ島リアンガ湾付近の動植物相の調査。
農業、林業、水産業等に関する聞き込み調査、ビサヤ族有形文化についての調査を行う。


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1966年7月21日〜9月11日:第二次パラワン島調査


隊 員:合田濤、鈴木光、出羽寛、井埜邦明、安藤崇
報告書:『第二次パラワン島調査隊出発前夜の状況』
概 要:
パラワン島東部バタク(ネグリート)族に関して人口、家族数、集落分布、人口移動の歴史、家族組織、社会組織、采祀儀礼、精神文化(宗教、芸能等)についての調査を行い、あわせてバタク族の栽培植物、ネズミの生態、その他一般的な生物学的調査も行った。





↑1966年パラワン島調査隊写真(出羽寛氏より提供)



○○○○○○○○イメージ1968年8月〜9 月:第三次パラワン島調査


隊 員:合田濤、紙村徹、水尾寛己、小森享二
報告書:
概 要:
パラワン島の西側、マグラヤ地区の焼畑農耕民の調査。宗教は一神教でイスラムの影響を受けている。最高神のアンポと善の神イワタ、悪の神シャイタンがいる。病の治療はシャーマンがおこなう。
一夫多妻も可。トイレは川と陸上。




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