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台湾Tai-oan

■蘭嶼島

  1967年2月28日〜4月12日:台湾蘭嶼学術調査

○○○○○○○○イメージ隊 員:遠藤紘一郎、津幡光哉、鈴木宏尚、成田佳紀
報告書:『中華民国蘭嶼学術調査 : 一般報告書』
    国立民族学博物館(馬淵文庫)蔵書
    『蘭嶼ヤミ族との10日間』
概 要:台湾東南方約80kmの孤島蘭嶼において原住民ヤミ
    族に関して経済、社会的調査を彼らのトビウオ漁に
    焦点を当てて行った。
    またヤミ族の原始信仰と後に流入したキリスト教と
    の関係、タロ芋を中心とする栽培植物、蝶の生態に
    ついても調査した。


←前列左より2番目津幡光哉、4番目遠藤紘一郎
 後列左より1番目成田佳紀、2番目鈴木宏尚


○○○○○○○○イメージ 1984年8月2日〜8月31日:台湾蘭嶼島ヤミ族調査

隊 員:酒井隆志、浅香辰也、内野健太、金岡正史(相模工
    業大学)
報告書:『第1次・2次台湾蘭嶼島遠征』
概 要:台湾蘭嶼島の原住民ヤミ族の民族学的調査。
    1984年春に酒井が単独で予備調査を行い、同年8月
    に酒井、浅香、内野、金岡の4人編成で本調査を実
    施した。
    調査はヤミ族の文化変容に焦点を絞り、ルポルター
    ジュ風にまとめた報告書を作成した。

酒井隆志(写真は1985年フィリピン・ミンドロ島で
撮影されたもの)          


■台東・蘭嶼島




■第1次、第2次台湾欄嶼島遠征(酒井 隆志)


 熱帯特有の心地よい日ざしの中、 隆起サンゴ沿いの道を私はひとりイララライ村を目指して歩いていた。すると50メートル程前方の茂みの中から比較的大きな黒つぼい動物が現れ、再び茂みの中に消えた。 「野生のイノシシだ」瞬間的にそう判断していた。ヤミ族の住むイララライ村はまだ見えない。
1984年3月、同期の浅香はタイに、三浦はアメリカへ、内野も北海道へと個人活動の場を求めて飛び出していた。当時私たちはまだ1年であり、現役部員の中で海外経験者は三人しかいなかった事を考えると、 私も含めて4人の新人のうち3人までが同時期に単独で海外に行つたということはそれなりの評価はできると思う。そしてその時期の私の活動の場は台湾欄嶼島であった。
 私のザックの中には彼らが好きだという米酒とタバコが詰まっており、ツェルトとシュラフも持って来ている。何も心配することはない。私は歩きながら大声で北国の春≠歌った。
 “北国の春”のメロディラインはここ台湾でも受け入れられており、中国語バージョンさえある。しかし、その夜私が米酒を飲みながらヤミ族の人達に囲まれて、再び北国の春≠歌うことになろうとは、その時は思いもよらなかったし、今しがた視界を横切つた動物が、束南アジアではごく一般に見かける黒プ夕だったとは夢にも思わなかった。

 私の海外での個人活動の第一歩は、このようにして始まった。

 1984年8月、私と同期の浅香、内野、それに相工大の金岡君を加えた4人のメンバーで再び欄嶼島に渡った。
ヤミ族に関する学術的研究は戦前より盛んにおこなわれてきており、未知の要素はほとんどない。 しかし必然的に隊のリーダーを務めることになった私には二つの大きな目的意識があった。その一つはマジョリティーに同化吸収される過程で彼らマイノリティーの文化がどの様に変質していくのか調べ、彼らの置かれている現状を認識すること。そしてもう一点は、海外での探検活動を盛んにすることである。
 私が入部した当時、部室には1960年代から1970年初期までの海外での民族調査等の記録はたくさん残っていたが、その後1982年にスマ トラ違征をしたくらいのもので、ある意味でやりがいのある環境に置かれていた。上級生をさしおいて2年生のみよりなる隊の編成とならざるを得なかったも仕方がなかったと思う。
 成果のほうはというと、ルポルタージュ風にまとめた報告書を出すには出したが、文化変容を調べるにはあまりに時間が短かすぎたことを痛感するような内容のものとなってしまった。
 しかし毎日四人が共通のフィールドでそれぞれの視点から彼らの生活を眺め、その都度気付いたこと、発見したことを持ち寄って意見を交換できたことは、貴重な経験になったと思う。水イモを主食に、アリバンバンと呼ぶ飛び魚漁をする彼らの生活は質素である。しかし、私たちにはない心のゆとり、豊かさがあるように思う。

 村を離れる前日の夜、お祭りの時くらいしか食べることのない貴重なプタが食卓にのぼった。しかし用を足した後、いつもこいつが私の出した汚物をうまそうに食べているのを見てきただけに、あまりいい気はしない。よりによって、 こいつの鼻まで盛りつけてある。しかし目の悪い内野にはそれが何だったのか口の中に運んだ後もわからなかったらしい。

■第2次蘭嶼島違征
【期 間】1984年8月2目~31日
【地 域】台湾蘭嶼島
【目 的】ヤミ族の文化変容調査
【隊 長】酒井隆志 (商学部2年)
【副隊長】浅香辰也 (商学部2年)
【隊 員】内野健太 (文理学部2年)
     金岡正史 (相工大2年)

『EXPEDITION V-創立30周年記念文集-』(1990年11月)より転載

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